増沢諒【政治は面白い!】

選挙ドットコム編集長/食べ物付き雑誌「食べる政治」代表。政治のわくわく感を伝えられたら嬉しいです。

パンダタワーの脳科学系女子へ。仏教系男子の恋愛観。

(いつもの政治系のエントリーとはちょっと志向を変えて)

住人のまるよしが「脳科学系女子」として、恋愛観についてブログを書いていた。

脳の仕組みに恋をしたら、きっと人に恋はできないんだと思う : 脳に恋する


思わず見入る、すっごい面白い内容でちょっとバズっていたので、(パンダタワーでいちばん恋愛遍歴・恋愛観がズレている)僕も書いてみようと思った。

一緒に住んでいるからって毎日深い話しをするわけじゃないし、特に幼少期の生い立ちなんて、よくよく話さない。
それをブログを通して知れるって、とても面白かった。
まるよしが脳科学系女子なら、僕は「仏教系男子」といったところだろう。

 

 

…僕の地元は、長野県長野市善光寺という国宝のものすっごい大きいお寺の横にある。
お寺まで1分くらいの場所で、境内は子どもの頃の遊び場であり、思春期に友だちと語り合った場所であり、いまでも地元に帰ると必ず立ち寄る場所。
善光寺の半径5キロには、宿坊という、その昔参拝客の宿になっていたお寺が数百個もある。当然、小中高と各クラスにひとりはお寺の息子がおり、「ショウカン」みたいな名前の友だちがいた。

そんなこんなで、子どものときから仏教は身近で、社会科見学でも行くし、学級文庫にも仏教系の本が自然と置いてあった。

 

自分の過去を振り返ったときに、「面白い」と思うエピソードに、「いつ反抗期が終わったか明確に分かる」というものがある。
普通は、なんとなく気付いたら親と喧嘩しなくなった…とかなのだろうけど、僕は明確に分かる。
それは、中学3年の1月23日だった。
公立高校を受けるのがめんどくさくて、早々と推薦で私立高校に逃げた僕は、同級生たちが自習している横で、手持ちぶたさに学級文庫を読んでいた。
ブラックジャックとか、学級文庫においてある漫画は読み終わっていて、何の気無しに「365日の説法」という本を読んでいた。
それは、見開き1ページに1つ、仏教のエピソードを書いていた本だった。
中学生にも読みやすい本だった。
今でも覚えている、この本を読み終わったとき、僕の反抗期は終わった。

…それくらい、僕は自然と仏教に触れてきて、仏教が考え方のベースにある。
仏教は、「人間らしいことの素晴らしさ」と「その感情との向き合い方」を教えてくれた。
人生観、とりわけ恋愛観では僕は「中庸」が大好きだ。

 


中庸は、簡単に言うと「ちょうどいい!」ってこと。
ただ、この「ちょうどいい!」が実に深い。
ポイントは、「誰といても、どこにいても、ちょうどいい」。

どんな相手でもどんな状況でも、それにうまく適応して、全体の雰囲気を良くすることが、「中庸」である。
この「中庸」できるようになるためには、「酸いも甘いも」の幅を知っていることが必要。
いろいろ幅を知っていて、受け止められるからこそ、相手に合わせて自分を調節して、その場の「ちょうどいい!」を作れる。
よく喋る人がいたら自分は黙るし、特定の能力だけ優れている人がいたら足りない部分を補ってあげる。
これが実に面白い。
うまく中庸が機能すると、なぜかチームワークがすごくうまく行き、成果もでる。200%とかに簡単になる。
1:1だとなんか「一線超えた仲良し感」が出てくる。
僕はこの中庸が大好きで、「いつでもどんな場所でも動じない広い器を持った男!」になることを目指している。


振り返ってこれまでの僕の恋愛遍歴である。
(当たり前だけどネット上で個別具体的に書く訳はないけど)これまでもいろいろ、濃い経験をしてきた。
☓☓されそうになったり、逆に相手が☓☓しそうになったり、◯◯な子もいたし、その逆で●●な子も居た。
まさかあそこで▲▲になるとは思わなかったし、逆に■■なことがあるとはびっくりだった。いや、本当に。
ここ2.3年、毎月のように合っていた友人に、その都度話していたのだけど、「この前、こんな経験が!びっくり!」って感じで毎月、自分の恋愛レコードを塗り替えてきた感覚だった。

そんな、ちょっと変わった女の子が大好きなのは、彼女たちがとても魅力的だからだ。
僕がのうのうと、「おれ、中庸だ」って調子に乗っているところを、ガツンと幅を広げてくれる。

「こんな視点で生きてるんだ」「まさかそこでこんなことがあるとは!」「えー!びっくり!」
自分の視点の狭さに気付かされる。自分の幅の狭さに気付かされる。
そうして、ちょっとずつ、視点・心の幅が広がって、人生が豊かになる。
そんな素敵な経験をさせてもらってきた。


そして、感情に素直な女の子はとても魅力的だ。
だって、この世の中、感情を隠して生きた方が生きやすくて、みんな大人しい。
それってとってもつまらない。

宗教全般は、「人は合理的じゃないよね」ってことを前提としている。
合理的だったら宗教なんてすぐに廃れて、理論で生きればいいけど、そうも行かない。
「人は不合理で、気分屋で、めんどくさい」ことを出発として、「それでも、なんとかうまく生きたい」という邪な、ずる賢い、でも、とても正直な感情から生まれたのが宗教だ。

だからこそ、この合理的な21世紀になってまで、「空気読めない」「ぜんぜん合理的じゃないけど」自分の気持ちに素直な人が、僕は大好きです。

 

 

中庸よりも好きな仏教の考えは「色即是空」。
般若心経にも出てくる有名なフレーズ。
機会があればどこかで。